「そうだ。
「そうだ。まず少なくても、あの女である可能性は低い。俺が夕餉の席に来た頃、茂吉さんと出て行ったのを見たから厨房に行っただろうよ」
「すると俺には、その後確かに彼女が厨房にいたことを確認しておけと」
「ああ、そしてそのついでに下手人探しも頼まれてくれねえかってことだ」
土方の部屋に忍び込んだ者が、間者か、鄭志剛博士 それとも芹沢派の息のかかった者なのかは分からない。暗々裏に計画している新見の件の実行予定日も近づいている今、へたに騒ぎ立てるのは得策ではなく、
ここは土方の最も信頼のおける身内で内密に下手人を捜索したいのだ。
「なに、目星はついてるからそいつらを洗ってほしいんだ」
「やってみますよ。ついてる目星はどのへんです」
「まずは非番の春井、新庄だ。この二人はそろそろ動き出すんじゃねえかとは思ってた頃だ」
間者ではないかと踏んでいる者達を、沖田らは決定的証拠を掴むため泳がせてある。
「それから次に洗うのは今夜やはり巡察に出ていない、荒木田、越後、御倉、それから芹沢方の平間、飯守、越野・・」
土方が次から次へと羅列してゆくので、沖田がついに噴き出した。
「まったく、うちには泳いでる魚が山程いるからね。一度に全部洗うんじゃ大変だ」
ちろり、と土方は、そんな沖田を見返した。
「そいつらがまな板に乗るかどうかは、おまえの網の張り方次第だ。頼んだぜ」
「春井、新庄」
前をゆく沖田の背が、振り返らずに二人を呼んだ。
「は・・」
冬乃の横で二人が、沖田の声にびくりと震えたように見えた。
呼んだまま沖田の歩調は変わっていない。この向こうを曲がれば、蔵の前に着く。
「そういえば、おまえ達が副長部屋のほうから走り出てくるのを見た者が数名いるが、・・何をしてた」
(何の話?)
唐突な沖田の問いかけに、おもわず冬乃が問われた二人を見やれば、二人の顔はこの月夜でも見てとれるほどに強ばっている。
「・・・何を仰っているのか、判りかねるのですが・・」
二人の返す声まで、こころなしか震えたように聞こえた。
(いったい何)
首を傾げる冬乃の前、沖田は振り返らぬまま二人に背を見せて歩み続けている。
春井が声を追わせた。
「私達は副長部屋のほうへ行った覚えはありません。人違いではありませんか」
「それは変だな。おまえ達を見た者は一人ではない、慌てて走り出てくるもんだから、みな何事かと心配していたそうだ。・・だがまあ、覚えがないならいいんだ」
「・・・・・」
四人は蔵の前に来た。
その刹那―――――何が起こったのか、
考える間も無く冬乃は、突然に目の前に降ってきた白刃から飛び下がった。
瞬間に、慣れない着物の裾に足をとられて、さすがに今度は転んでしまった。
二の太刀の光が落ちてきて、
もうだめか、と思ったのに、だが。何も来なかった。
(・・・っ)
冬乃は瞑ってしまっていた両目を見開き、前に交差した両腕をおろした。
その目の前に差し出された大きい手に、冬乃は顔を上げた。
「大丈夫?」
見上げた先は、
「冬乃さん?怪我は」
沖田のいつもの穏やかな眼。
「あ・・ありません、」
(いま何が起こったの?)
冬乃の座り込んでいる位置より三歩程度向こうには、倒れている二人の姿がある。
(まさか・・・)
「ハッタリが、本当にあたるとは」
と、独り言ちた沖田を呆然と見やった冬乃の、その手はそして、いつかの時のように力強く引き上げられた。
知らせに走ってきた冬乃を連れて土方は、
土方にとって沖田と同じく身内と呼べる存在である井上を呼びにいくと、その足で沖田の待つ蔵前まで戻り、
気を失っていた春井と新庄を、持ってきた縄で縛り、猿轡をしてから叩き起こした。
(生きてた・・さっきのは峰打ちだったんだ・・)
起き上がる二人を見てほっとした冬乃は、だがそのまま沖田に引きずられて蔵に入ってゆく二人の怯え具合に、すぐに不安になった。
そして、その後いったい沖田と土方が二人に蔵の中で何をしたのか、冬乃は想像したくない。
井上とともに蔵の外で見張りとして立っている間、蔵内から時折こぼれてくる呻き声に、 冬乃の脳裏では拷問という二文字が嫌でも浮かんで、耐え切れず最後には耳を塞いで蹲ってしまった。
ようやく開け放たれた蔵から出てきたのは沖田と土方だけだった。
縋るように目で追った冬乃に一瞬目を合わせてその横を通りすぎた沖田からは、纏った血の臭いがした。
(・・・・っ)
「冬乃さん、」
中に残る春井と新庄はどうなったのかと、恐る恐る蔵の中を覗こうとした冬乃を、すぐに沖田の声が呼び止めた。
「井上さんと厨房に戻ってなさい。後ほど追います。井上さん、宜しくお願いします」
頷く井上に促され、 冬乃は蔵内を確かめ得ることなくその場を後にした。
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